連載第1回


金子きよ子


身近なところにいらっしゃる素敵な方々にインタビューし、様々な人の生きる姿を通して、生きることのかけがえのなさをお伝えしていきます。



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第1回 日向夏

第2回 豊田健一

2011.06.16

人の心が何だか温かくなる、そんな瞬間をつくりたい



■太陽の日差しを一身に浴びて

「感謝の気持ちを形にするという活動を通じて誰かが笑顔になってくれたらいいな」。

 こう話すのは日向夏。都内のIT会社に勤務するOLだ。

 日向夏が生まれたのは福岡県。一家は日向夏が保育園に入る前、宮崎県に移り住んだ。

 花を育てるのが上手な父と、父が育てた花を生来のセンスで上手に生ける母。3つ年上の兄からなる4人家族の中で育った。

「父はすごく優しい人でした。動物にも植物にも愛されて。同じように水をやっても父がやると全然違うんです。近所に借りた畑で野菜もつくっていたんですけど、どれも驚くほど綺麗で美味しかった。畑も土がふんわりと盛ってあって。きっと野菜と話ができていたんじゃないかなと思います」。

 宮崎の豊かな自然の中で、太陽の日差しを一身に浴びて育った。

 高校に入ると放送部に入り、伝えることの楽しさに目覚めた。

「お昼休みに流す番組を自分たちでつくるんです。その中で、たとえば『誰々さんに、こんなメッセージが届いています』と音楽を流すとメッセージを読まれた人が喜んでくれる、それがとても楽しかったんです」。

■2つの転機

 一方で、表現することにも興味があり、言語表現について学ぶため、大学では日本アジア言語文化コースを選択した。

 日向夏にとって1つめの転機は海外を一人で旅したこと。

「高校までずっと優等生だったから、自分の殻を破れなかったんです。でも、いろんな人がいる海外にいったことで、とても自由になれた気がしました。楽しい時は、思いきり無邪気に楽しく笑い、知りたいことは、どんどん人に聞いて世界を広げていける。そう思えたから、フットワークがふっと軽くなった気がします」。

 大学卒業後は人材会社に就職した。

 人材会社でのマーケティングの仕事は、面白いが激務の連続だった。毎晩終電で帰宅する日々に、生活が仕事一色になるのが悔しくて、同僚から紹介してもらったバンドに参加した。社会人になったらやってみたかったことの一つだ。そして、もう一つの大好きなこと、映画にも関わりたくなり、家族の絆をテーマにした自主映画づくりにスタッフとして参加した。映画づくりが終わった頃、映画を通じて知り合った仲間から誘われて2つめのバンドに参加した。

 2つめの転機はヘッドハントされて、現在も勤務するIT会社に転職したこと。

「外で自分はどれくらい市場価値があるのか知りたくなって、そんな話を知り合いにしたところ、人づてに話がつたわり、今の会社で広報室を立ち上げるからやってみないかと誘われたんです」。

 手探りで広報室を一から立ち上げた。立ち上げから現在に至るまで広報・マーケティング担当は日向夏一人。気がぬけない日々に、やりがいと同時にプレッシャーも感じる。

「大変だな、と思うこともあるけど、転職していなかったらサラリーマンの発想のままでいつづけたかもしれない。転職して経営者の近くで仕事をさせていただいているからこそ、サラリーマンであっても、みずから事業をつくるというイメージで仕事をしたほうが断然面白いということに気づかせていただいた気がします」。

■感謝の気持ちを形にする

 プライベートではIT会社に転職して3年経ったとき、かねてから交際していた夫と結婚した。

「主人とは2つ目のバンドで知り合ったんです。彼はプロの作曲家としてデビューしていて、忙しくて友人の結婚式に参加できないかわりに、曲を作ってプレゼントしていたところ、反響があって、企業からも取り扱いさせてほしいと問い合わせがあったんです。それで、彼が思い切って会社を起ち上げることにしたんです」。

 2007年12月に挙式して、2008年1月には起業する夫を陰で強力にサポートした。

『感謝の気持ちを形にする』。それが、夫の立ち上げた会社の事業コンセプトだ。結婚式や誕生日などの大切な記念日に伝えたい感謝の気持ちを映像、音楽制作などを通して形にするというサービスを手がける。

■誰かが一人でも笑顔になってくれたらいい

 平日はIT会社で働きながら、休日は夫の仕事をボランティア参加で支援する。

「やりたいことは家族のぬくもりや絆、そして感謝の気持ちを『形にしてつたえること』。事業としての活動は、おかげさまでたくさんの笑顔に出会えてきて幸せなお仕事をさせて頂いているなあと感じています。ただ、欲がでてきて、私自身も何か自分の手で何かカタチにできる手段を得たいと思うようになったんです。だた、それをうまくつたえられるものがまだ自分のなかで見つけきれていないような気がするんです」。

それぞれ得意分野を持つ人と人をつないでひとつの形をつくりあげる一方で、自分自身もこれだと誇れる"つくり手"の部分も持っていたいのかもしれないとも思う。

「でも、ビジネスとして成立させるという視点にたったとき、私は"つくり手"ではなくて、人と人をつなぐ架け橋とかハブという立場で動いた方が向いていると思うので、その狭間で揺れているのかもしれません」。

揺れる思いをこう分析しつつも確かな思いが胸のうちにある。
「生きるということは、奇跡の連続だと思うんです。たった一口のお茶をごくんと飲めるってことも、散歩できるってことも。父の姿から教わりました。迷いながら模索していくなかで、人の心が何だか温かくなる、そんな瞬間をつくれたらいいな」。

 インタビューを終えて、別れ際、ふわりと抱きしめてくれた日向夏から太陽のぬくもりがこぼれおちた。



日向夏から大切な人に贈る想いを込めた 手作り石鹸

母と子を題材に温もりと希望をイメージした作品を東日本大震災チャリティー 写真展に出展した