連載第2回


金子きよ子


身近なところにいらっしゃる素敵な方々にインタビューし、様々な人の生きる姿を通して、生きることのかけがえのなさをお伝えしていきます。



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第1回 日向夏

第2回 豊田健一

2011.9.28

自分で体系だったなにかをつくりあげて世の中に提言したい



豊田健一さんは、一般社団法人組織内コミュニケーション協会の専務理事として、組織内コミュニケーションに関する事例研究および提言をおこなっている。様々なキャリアを通して、なぜ組織内コミュニケーションにたどりついたのか。また、そこからどこへ向かおうとしているのか。お話を伺った。



■ 文科系から体育会系への転換

 豊田さんは1965年大阪府豊中市に生まれた。父親が転勤族だったため、幼い頃は岐阜県、神奈川県、大阪府、東京都など各地を転々とした。
 幼い頃は、絵画教室に通う文科系の少年だった。転機は高校でアメリカンフットボール部に入ったこと。
「中学は美術部だったんですが、高校でアメリカンフットボール部に入って人生が変わりましたね。そのまま美術部だったら大人しい性格だったと思うんですが、それまでの文科系の性格ががらりと体育会系に変わりました」。
 大学でもアメリカンフットボール部に所属し、キャプテンも努めた。体育会系の上下関係や、羽目を外すときはハチャメチャにはずす楽しさはこのときに覚えた。フットワークの軽さや体力もこのときに培ったものだ。

 大学卒業後、株式会社リクルートに入社した。最初に配属されたのは経理部だった。
「当時『B-ing』と『とらばーゆ』を管轄している事業部を担当していたんですが、そこがそのとき一番勢いがあって、伝票の数がすごい多いんですよ。数えたんですが、僕がリクルートで一番伝票を処理していた男みたいな話があるくらいでした(笑)」。
 一年間経理部にいた後、営業に配属され、新宿営業所で転職雑誌『B-ing』、『とらばーゆ』の営業を担当した。
「主に飛び込み営業なんですが、本当に嫌でしたね。嫌で嫌でしょうがなかった。電話営業とか、キャラ的に売り込むことが出来なくて、(今では全然平気ですけど(笑))当然目標もいかなくて、一年間我慢しましたね。それを見るに見かねて経理部に戻してもらったんです」。
 一年間経理部にいた後、再度強制的に『B-ing』、『とらばーゆ』の営業に配属された。
「今度は立川営業所に行かされたんですが、その当時IターンやUターンが流行りだした時期だったので、立川営業所にいながら山梨県を営業で回っていました。朝、始発で『かいじ』にのって、山梨市に駐車場を借りて、その車で山梨を回っていました」。

 2度目の営業では、成績も順調に伸びていった。
「ちょうどアメフトの大学の同期が甲府でアメフトのチームに入っていたんです。そこに地元の二代目経営者が所属しているということを聞きつけて、山梨でそのアメフトのチームに入りました。練習は平日の夜だったので営業に行って、着替えてアメフトの練習もやって、その後帰宅していましたね。当時はリクルートでも『営業でそこまでする奴がいる』みたいに取り上げられたりして。(笑)そんな効果も手伝ってか、このときは目標も達成していました」。
 1度目の営業との違いはとの問いに、
「ロープレっていうんですか?周りに人がいて、電話の声を聞かれるのがものすごく苦手だったんです。その点、2度目の営業のときは完全に一人ですから。山梨に着いたら公衆電話から片っ端に電話をかけまくったり、ホテルに『今日は泊まらないから部屋だけ借りるよ』と、こもって片っ端に電話をかけたり、今でもそうですが、一匹狼的に一人で勝手にやっているのが合っているんだと思います」。という答えが返ってきた。



■どっぷりハマった総務の仕事

 一年半営業を経験した後、総務部に配属された。業務内容はコピー機の管理や交通事故対応、事業所のレイアウト変更など実に多岐にわたっていた。総務部の仕事は自分に合っていると思った。
「元々ホテルマンになりたかったんです。総務の仕事って社内サービスの最たるものじゃないですか。ものすごく忙しかったけど、例えば外出すると、机の下まで、依頼案件のメモが垂れ下がっている。それをいかに早く確実に処理していくか。ささいなことこそ早めにやってあげるんですよ。そうすると、向こうはものすごく恩義に感じてくれる、小さな借りを貯金としてためていくと、いざ何かっていうときに頼みやすいじゃないですか。そうやって円滑に仕事をしていくのにハマったんですね」。  一年間総務部に配属された後、別の部に異動になった。しかし、総務の仕事がどうしても好きだったため、リクルート関連の人材会社に赴き、総務で募集している会社を探し、株式会社魚力に総務課長として転職した。
 株式会社魚力では大きなレイアウト変更や店頭公開に向けた株主総会など4年間にわたり、様々な経験を積んだ。

 4年を過ぎたころから、このままでいいのかと考えるようになった。
「いろいろ経験しましたから、総務コンサルタント的な仕事をしようかなと。でも、それには本でも書かないと駄目かなと思ったんです。ちょうどその頃、リクルート出身の福西七重さんが経営する株式会社ナナ・コーポレート・コミュニケーションという会社で、『月刊総務』という雑誌を出していることを知り、元リクルートつながりだし、もしかしたら採用してもらえるかなと、自分でまとめた資料を送ったら会おうということになって2、3回会って話をするうち、じゃうちにこないかと誘っていただいたんです」。

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