NEW  2011.08.18

Vol.22

戌井昭人さん/作家・鉄割アルバトロスケット <後半>  

鉄割アルバトロスケット『LSD』2010年 グランドホテル愛寿(SPECTACLE IN THE FARM 2010)
※こちらをクリックすると作品が拡大します。

 

■背中を押してくれた祖父

——文学座では附属演劇研究所の本科生として所属されていましたが、その後どうされたのでしょうか?

1年後、文学座には選抜された人だけ残るんだけど、鉄割のメンバーは全員残れなかったの。俺は書く方をやろうと思ってて・・・残ってた。けど、そのとき鉄割みたいなことをやろうという構想があって、自分で書いたのをやんないと駄目だ、で「辞めます」っていったんですよ。そしたら周りに「何考えてんだ、せっかく残ってるのに」とかいわれた。けど、爺さんが「自分でやった方が絶対いいぞ」っていってくれて、辞めたんです。

 

 

 

■10年続いた理由は、友達だから

——そして、鉄割が立ち上がったのですね。

まず公演できる場所を牛嶋と探しました。根津に宮永会館っていう公民館があって、3,4年前までずっとやっていた。宮永会館がなければ、俺らやってないと思う。 当時、団子付けて1,000円でやってました。学生とかに(音楽の)ライブに行くような感じでパパッと来てほしくて。そういう人たちからレスポンスがあったら嬉しいじゃないですか。

 


東京都文京区にある財団法人宮永会館

 

——メンバーは途中、変わりましたよね?

初期はメンバーがもう少しいたね。途中、村上※25くんと中島弟※26が入ってきて今の形になりました。
10年以上続けられたのは、皆ただの友達なんで。ただ、友達だから、なあなあでひよっていく感じにもなって、良くないこともある(笑)。 でも、皆には、他のとこでもっと頑張ってほしい。他があって、友達として面白いから集まれる場所もあって、パパッと集まれるようになれたらいいなって思います。

■観せるより“見ちゃう”

——鉄割の演目はどのようにして生まれるのですか?

街中でおっさんが面白い喋り方をしたらメモしたり。大概、俺が一人で考える。牛嶋に意見してもらうこともあるけど、皆でつくり込んでってのはあんまない。練習しながらつくることはあるんだけどアドリブみたいなことはなく、全部決めて上演します。

——戌井さんにとって、面白いと思うポイントはどこですか?

理由もなく見ちゃう感じのものが面白くて、魅力があると思います。観せるってより、見ちゃうってことをやりたい。見ちゃってるっていうのを。

(c) 沼田学 / 鉄割アルバトロスケット 2009年 下北沢 ザ・スズナリ

 

■小説家としての顔

——小説家としても活躍されていますが、書くきっかけは何だったのですか?

前から書きたいと思ってはいましたが、きっかけはリトルモアの孫※27さん。「鉄割だけやっていても多分駄目だから、小説書いて、なんとかなれるようになってみい」といわれ、書いて読んでもらったりしてて。そんなことしていたら、新潮の方が鉄割を観に来てくれて「小説を書かないか」といわれたんです。

——2009年に『まずいスープ』が芥川賞にノミネートされましたが、その後何か変わりました?

劇的に変わったことはないけど、小説はずっと書き続けていこうっていう気持ちになれました。それまで、タラタラと生きてきたから、これでやるって気持ちがすごい起きたんです。

——作品づくりで息詰ったりしませんか?

大丈夫と思うようにしてる(苦笑)。これで二十歳ぐらいのときに書いてたりしてたら、また違ってたかもしれないけれど、とかくそのころは生活が本当にひどかった。それを思うと絶対やんなきゃいけないってのがあって。でも、どうすんだろっていう不安感もあって・・・。小説を書き始めたとき長島有里枝※28さんにそんな話をしたら「男は、デビューとかするのは、遅い方がいいんだよ。遅けりゃ遅いほど楽しいよ」っていわれ、すごく勇気づけられました。

——イラストレーターの多田玲子※29さんとも交流があり『ただいま、おかえりなさい(※30)』と『八百八百日記(※31)』を一緒に出版されていますね。

『ただいま、おかえりなさい』は、多田さんが「鉄割の公演で、戌井さんがつくった何か売れるものがあったらいいんじゃない?」っていってくれたのがきっかけ。多田さんのお陰ですね。

--そして、2011年「ぴんぞろ(※32)」が芥川賞の候補に。2度目ですね。

嬉しかったんですけど、1回目ほど舞い上がらなかったですね。舞い上がらないようにしていたのかも。
作品は3年ぐらい前から書いていたものを、今年の1月に大幅に書き直して作りました。

--あの物語を作られたきっかけは?

以前から浅草の話を書きたかったのがあって。
あと、人生が転がっていく感じを書きたかったのかもしれませんね。

 

■多分野での活躍と今後の展望

——その他にも、詩や音楽など様々な分野で活躍されていますね。

詩は大学4年のときニューヨリカン・ポエッツ・カフェのグランドスラム※33っていう詩の大会に出たり、ラジオやったり。※34そうだ、ラジオ聴いてた人に横浜のサンハートっていう文化財団の人がいて、そこで詩の講師もしました。※35
弾き語りも、4年位前に祖師谷の「Café MURIWUI(※36)」でやらせてもらって、それから呼ばれたらぽつぽつと。

高速スパム PRESENTS「FOOL OF THE YEAR」 2011年 三軒茶屋Heaven's Door

 

——創作活動の原動力は何ですか?

もう後に引けないっていうことしかないですよね(苦笑)。続けるのみ。ただ「あの星をつかんでやろう!」みたいな意気でなく、進まないと・・・って感じ。とにかく、止まらないこと。それしかないな。現状に満足しちゃいけないと思うし。鉄割でもこの公演良かった、楽しかったってのはあるけど、それを引きずらないようにしてる。

満足しすぎず、前に進み続けたいですね。

 



2010年12月7日と2011年1月4日と8月14日、世田谷某所にて

戌井昭人さんインタビュー 前半 >>



<インタビュー所感/ドイケイコ>
小説を書いたり、ギターを弾いたり、歌ったり、踊ったり、様々な活動をされている戌井さんの根源には「鉄割アルバトロスケット」があり、戌井さんは鉄割そのものだと感じました。各活動はこれまで生活してきた環境が多分に影響していると思いましたが、本能的につい見てしまうものや面白いと感じるものを察知し、読み取り、表現し続けてきたことが何よりの支えになっている気がします。きっと、すべての表現活動に通じる行為だからこそ、あんなにも多才なんだろうなぁ、としみじみ思ってしまいました。どこか探り探りで実験的な行為にも見えますが、表現者として何より必要なものをこつこつ育てているようにも思えます。今後、戌井さんの活動を追いかけていくと、何か面白いことに出くわせそうですよ。

<プロフィール>
戌井 昭人(いぬい あきと)
東京都生まれ。玉川大学文学部演劇専攻卒業。文学座付属研究所卒業。鉄割アルバトロスケット主宰。演目の原作・脚本の制作、出演を担当。都内各地にてギター弾き語りライブ活動も行っている。「ぴんぞろ」2011年群像6月号=第145回芥川賞候補、『鮒のためいき』2008年新潮3月号、『まずいスープ』2009年新潮3月号=第141回芥川賞候補、単行本は09年新潮社刊。『ただいま おかえりなさい』09年ヴィレッジブックス刊。『八百八百日記』09年創英社刊。
2011年9月1日〜4日、ザ・スズナリ(下北沢)にて鉄割アルバトロスケット公演『鉄割あっ!』を開催。

好きな言葉:生きてるってはずかしいことなんですね(坂口安吾の言葉より)

   

<解説>

※25 村上
村上陽一。THE BACKDROPSのギター担当。素直な演技には定評もあるが。行き過ぎた演技で客に恐怖を与えてしまうことも。基本は、真面目で一生懸命、深く探求しようとする学者肌。
http://www.thebackdrops.com/pc/index.html
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※26 中島弟
中島教知。兄は鉄割メンバーの朋人。青春時代というものがスッポリ抜けており、現在無理矢理青春を謳歌させられている。主な活動は鉄割メンバーの誰かが出演する番組等にひっついて出演したりすること。
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※27 リトルモアの孫さん
出版・映画製作・映画配給・レコード会社経営などで知られる株式会社リトル・モアの代表取締役、孫家邦。『どついたるねん』、『夢二』、『ナインソウルズ』、『空中庭園』などの映画の企画、製作プロデューサーとしても知られる。鉄割が「宮永会館」で随分上演していたとき、「そろそろ劇場に行ってもいいんじゃないか」と、戌井に下北沢の「駅前劇場」を紹介した逸話もある。
http://www.littlemore.co.jp/
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※28 長島有里枝
写真家。2000年に第26回木村伊兵衛写真賞を受賞。また、2010年『背中の記憶』が第23回三島由紀夫賞にノミネート、第26回講談社エッセイ賞を受賞し文筆業でも才能を発揮。戌井が大学生のときイギリスへ行く船で偶然知り合い、以降友人に。
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※29 多田玲子
カラフルな色彩と珍妙なモチーフ選択で知られるイラストレーター、美術作家。多数の装丁、雑誌、アルバムジャケット、ファッションブランド等の仕事を国内外問わず手がけている。田山雅楽子との2人組パンクバンドKiiiiiiiのドラマーでもある。
http://www.tadareiko.com/
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※30 ただいま、おかえりなさい
2009年にヴィレッジブックスより発行。戌井昭人(文)と多田玲子(イラスト)による全113話。クスリと笑える不思議な世界が詰まっている。
http://www.villagebooks.co.jp/books-list/detail/978-4-86332-207-3.html
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※31 八百八百日記
2009年に創英社より発行。野菜と果物にまつわる短い話と絵を、戌井(文)と多田(絵)がそれぞれ勝手に考えて50ずつ持ち寄って作成したフルカラーの小さな絵本短編集。
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%85%AB%E7%99%BE%E6%97%A5%E8%A8%98-%E6%88%8C%E4%BA%95-%E6%98%AD%E4%BA%BA/dp/4434139681
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※32 ぴんぞろ
第145回芥川賞候補作に選出された戌井昭人の小説。2011年講談社より発行された同タイトルの書籍『ぴんぞろ』に収められている。浅草・酉の市でイカサマ賭博に巻き込まれた、脚本家の「おれ」が、流れ流され地方のさびれた温泉街にたどり着き、そこのひなびたヌード劇場で前説をする羽目に…。平成“チンチロリン”放浪記。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=217197X&x=B
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※33 ニューヨリカン・ポエッツ・カフェのグランドスラム
ニューヨリカン・ポエッツ・カフェとは、1973年に劇作家で詩人のミゲル“マイキー”ピニェロとミゲル・アルガリン(ジャンカルロ・エスポジート)が中心となって、ニューヨークの文化コミュニティを作るために創設した施設。そこでは、数人が詩の朗読をするポエトリーリーディングが行なわれ、勝ち抜いていくというグランドスラムが開催される。戌井は大学4年のとき参加し般若心経を朗読して準優勝になった。
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※34 ラジオやったり。
J-WAVEで1996~1998年に放送された、ロバート・ハリスが司会を務める『ポエトリー・カフェ』というラジオ番組。「言葉は歌うことから生まれた」という言葉と共に始まり、いわゆる文壇、詩壇とは一線を画したストリート派詩人やロックアーティストらが自作の詩をクラブDJの選曲する先端の曲とパーカッショニストの即興演奏に乗せて朗読していた。戌井は朗読者の一人として出演。
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※35 詩の講師もしました。
2000年頃、戌井は横浜の文化財団サンハートにて詩を朗読する授業の講師を行っていた。当時について「看護師のおばさん二人と牛乳屋の青年という不思議なメンバーで、一緒になんかやってた感じがあります。今思えば面白かったですね」と語る。
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※36 Café MURIWUI
2002年に世田谷の祖師谷にオープンしたカフェで、カルチャー教室やライブイベントなども実施。オススメは自家焙煎コーヒーと日本在住のアメリカ人に「なつかしい!」と言わしめたカリフォルニア仕込みのバーガー類。
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
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文•クレジット表記がない写真:ドイケイコ